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傘鉾パート2

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2とおりの後悔


平成4年が始まったばかりのある日、職場の先輩が一枚のコピーを持ってきました。

「こんなの手に入ったよ。試してみるかい?」

それは「脳卒中で絶対倒れない方法」と題したものでした。以下は、そのときに入手した内容の要点を抜粋したものです。


【脳卒中で絶対倒れない飲物の作り方】

1.鶏卵 1個
  ・白味だけを使用する

2.ふきの葉の汁 小さじ3杯
  ・ふきの葉の生を3~4枚きざんですり潰し、それを濾した汁
  ※ツワブキはダメ

3.清酒 小さじ3杯
  ※焼酎はダメ

4.梅漬け1個をすり潰したもの
  ※生の青梅を塩漬けにしてやわらかくしたもの
  ※土用干しした梅はダメ

5.厳守事項
  ・上記1~4の材料を必ず番号順に器に入れること
  ・一品入れるごとにできるだけよくかきまぜること

6.備考
  ・入梅(6月)の頃には、ふきと青梅が入手可能
  ・一生に一度飲めばよいが、何度飲んでもよい


           
私は「母方の家系はおおよそ脳卒中のたぐいで亡くなっている」と聞かされていましたので、たぶん自分にも「その恐れ」があるだろう…と前々から思っていました。
また、親類縁者で「ガンで命を落とした者はいない」とも聞かされていました。

そのため、「○△□がガンに効く…」といった怪文書や怪しげな民間療法・秘薬などの広告を目にしても、私にはまったく興味がありませんでした。
でも、この「脳卒中で絶対倒れない飲物」についてはなぜか、見過ごせない何かを感じたのでした。

材料が、ふきの葉と酒、卵なんて、どう考えても「脳卒中予防の特効薬」とは思えませんが、かえってそれが、飲んでも害はないだろうと直感的に思いました。
また、材料費もたいしてかからないということもあり、私は時期が来たら是非試してみようと思いました。

果たして、その年の入梅が近づき、ふきと青梅のシーズンになり、「1回分」を飲んでみました。

私は、こういったものは味わって飲むものではない…と思い、まるでミニグラスに注いだウォッカを喉の奥に放り込むときのように、一気に飲み込みました。
つまり、飲むには飲みましたが、どんな味だったのかはいまだにわかりません…。

それはさておき、効果は…というと…

どうもおかしな表現ですが、いまだに何も起きていない、ということが効果とも言えるだろうし、そうではないのかもしれない、とも言えるでしょう。

しかし、飲んだ人は「倒れず」、飲まなかった人は「倒れるかもしれない」のだとすれば、飲んでおくことに越したことはありません。
その効能が科学的に証明されたものでないにしても、結果論だとしても、何らかの「好ましい結果」が実在するのであれば…。

同様に?オーラとか、気とか、第6感とか、やはり科学的に証明されぬまま昔から存在し、現代社会に溶け込んでいるものもあるのですから…。

蛇足ですが、だいたい科学とか権威とか日進月歩のものであり、昔と今とでは論調が180度変わってしまうことも多々あるのです。
たとえば、今から30年くらいまえは、「1日に10杯以上コーヒーを飲むと胃ガンになりやすい」などと公然と言われていたものが、今や、「コーヒーはガン(の予防)に効く」という論調にすりかわって(進歩して)いたりします…。

さて、自分自身も試してみたことだし、効能は未知のものだとしてもとりあえず無害だとわかったので、私はそのコピーをたくさんの知人や職場の同僚・取引先の営業担当などに配りました。

ただ、私は故あって6年前に職場を変わってしまったので、そのコピーを配った数多くの人のうち、誰と誰とが試したか、その後の消息は不明です。

さらに、冠婚葬祭などで会う機会があるたびに親戚縁者にもコピーを配りました。

それから、何だかんだと早15年以上過ぎていますが、お陰様で私も私の母親(今年72歳)も健在です。

しかし今日に至るまでの間に、何人かの親類は不覚にも「脳卒中系」で倒れています。

あとでわかったことですが、倒れたのは、奇しくもコピーを渡していなかった人たちでした。

単なる偶然か、はたまた「飲物」の効能なのか、実行した人たちは健在です。

なお、今般この記事を書くにあたり「脳卒中で絶対倒れない方法」についてあらためてネットで検索してみましたが、やはり、ありました。

私がこの情報を入手したのは平成4年でしたが、最初に出回ったのは昭和58年ころからのようです。

すなわち、今や、ネット上にはさらに詳しく調べている方もいて、中にはご自身のHPで写真入りのレシピを掲載している方もいました。

さらに興味のある方は、詳しく検索してみてはいかがでしょうか?

この次に材料(ふき・青梅)が手に入るのは来年の梅雨どきとなりますが、「脳卒中に陥る懸念」のある方は、今からよく考えて…、来年実行してみてはいかがでしょう?

もし、ある日突然、脳卒中に襲われたとしたら…、そのときになって、「嗚呼、あのとき、あれを飲んでおけばよかったのに…」と後悔することのないよう、敢えておすすめします。

少なくとも、この記事を目にした方は、いわゆる「巡り合わせ」「一期一会」の理(ことわり)に導かれてきた…とは思えませんか?

さて、昔、知人から聞いた話ですが、世の中には「2とおりの後悔」があるそうです。

1つめは、
「なぜ、そうしてしまったのだろう」という後悔。

もう1つは、
「なぜ、そうしなかったのだろう」という後悔。

「なぜ、そうしてしまったのだろう」という後悔は、おおよそ、結果が悪かったから…「なぜ、そうしてしまったのだろう」と後悔するのでしょうが…、良かれ悪しかれ、何かを実行したうえでの結果が存在するだけ「まだまし」だと言えるでしょう。

「なぜ、そうしなかったのだろう」という後悔は、結果を危惧するあまり、何もできずに過ごしてしまったにもかかわらず、後々になってから、「あのとき、ああしていればよかったのに…」と悔やむこと…。

総じて、「後悔」などするものではありませんが、どちらの後悔がより良くないかというと…、ダメなのは後者、結局何も実行(行動)せずに、「なぜ、そうしなかったのだろう」と悔やむことにほかなりません。

ご承知のとおり、人間社会(人生)とは、突き詰めれば「失敗の積み重ね」とも言えるでしょう。

すなわち、何事も失敗を恐れずに実行して、何度失敗しても精進(修練)してなんとか壁を乗り越える…というのが「人としての修行」ではないでしょうか?

これは…自戒の意味も含めますが、人生においては何事も、とにかく「やってみる」ことです!

ところで、後悔といえば、「他人の言葉をさえぎってしまった」ために、後々 予告なくやってくる後悔 もあります。

あなたは誰かと会話中に、つい、相手が言いかけた言葉をさえぎってしまったことはありませんか?

人それぞれとは思いますが、人間の記憶とは印象の深さに左右されやすい不可思議なものであり、後々になって、なぜかその時(その瞬間)のことを鮮明に思い出したりすることがあるものです。

いわゆる フラッシュバック というヤツですね。

それがまた、数年後、数十年後に、ふっと記憶が蘇ってきたりするものですから厄介です。

「あのとき何を言いかけたの?」と確かめようと思っても、数日後や数週間後ならまだしも、何年も何十年も経ってからではもう「あとの祭り」です。

たまたま都合よく同窓会でもあれば、旧友にそのときのことを尋ねたりして、ちょうどいい昔話に花を咲かせることができるかもしれません。

でも、相手の話の腰を折ってしまったあなたはそのときのことをよく憶えていても、相手の方はというと、完全に忘れてしまっているでしょう…。

それならまだしも…、歳月の経過によりその相手の所在や消息が不明だとしたら…、最悪の場合相手が何を言おうとしていたのか、永遠に闇の中…となってしまうでしょう。

ちなみに私は、30年以上も前のことですが、中学校の校庭で同級生と「何かを」話していたときの光景を、たびたび思い出してしまいます。

そのとき何の話をしていたのかさえ憶えていないのに、「相手が何か言いかけたのをさえぎって自分がしゃべってしまった…」、ということだけがなぜか強く記憶(印象)に残っているのです。

つまり、「あのとき、あの人は、何か大切なことを言おうとしていたんじゃないだろうか?」「なぜ、あのときちゃんと相手の話を聞いてやらなかったんだろう?」という後悔をしてしまうわけです。

身に覚えのある方、そういった「後悔」をしないよう、日頃から気をつけたいものです。

人と話すときは、くれぐれも相手の話をよく聞くよう心掛けましょう。
(2009年9月25日)
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