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傘鉾パート2

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気の所為(せい)


先日、思いがけず親戚に不幸があり、急遽埼玉まで行ってきました。

いろいろと重なったからだと思いますが、お通夜が日曜日で告別式が月曜日という、ちょっと変わった?日程でした。

というのも、私が以前勤めていた会社で(発生した葬儀)は、過去30数年の間にそんな日程の葬儀はただの一度もなかったからです。

普通のサラリーマンが葬儀に参列するためには、お通夜はともかく、平日の昼間に告別式ではちょっと無理があります。

私の了見が狭いだけかもしれませんが、おおよそ金曜日がお通夜で土曜日が告別式、または、土曜日がお通夜で日曜日が告別式 というのが当たり前だったのです。

まあそれはともかく、日曜日の夕方5時からお通夜という日程で、私は片道約200キロの道のりを疾走し、4時過ぎには指定の斎場(◎△●ホール)に到着しました。

そこは市街地からクルマで5分くらい山あいに入った幹線道路沿いにあり、わりと瀟洒(しょうしゃ)な建物で内装も照明もとても明るく、なかなかよさそうな斎場だなと感じました。

しかし、中に入ってみると受付係やら記帳係やら、どうも無愛想に感じます。どうやら、斎場のスタッフと隣組(いわゆる自治会のようなもの)のお手伝いの人たちが入り混じって、バタバタと役割分担をこなしているようでした。

場所が場所なだけに笑顔は慎むところですが、神妙な表情ならともかく、どうも無愛想としか思えませんでした。

私は着いた早々、案内係に急かされるようにして記帳を済ませ、それから受付に御霊前を差し出しました。

御霊前と引き換えに、受付係の人から「香典返し」の整理券を渡されましたが…、その場を離れてから何気なく整理券を見てみると、なんと 42番 でした!

「ええっ?」

私は、我が目を疑いました。

目下私はサービス業の中に身を置いていることもあって、普段から 忌み数(いみかず) の扱いに関してはそこそこ気を遣っているのです。

「際物(きわもの)屋なのに、なんてこった!」

私は、なぜか急に、無性に腹が立ってきました。

いくら際物店だからって、また、葬儀だからって、42 という 忌み数 を使っていいはずはありません。

いや、むしろ、葬儀だからこそ、忌み数 には配慮しなければならないはずです。

おそらく、忌み数に無頓着かまたは非常識な人が機械的にナンバーリンク゛をガチャガチャ押した末のことだと思いますが、渡された方としては、いっぺんに気分を害してしまいました。

そうなると、もう「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、何から何までいちいち気に食わなく思えてきました。

果たして、スタッフの近くを通るたびに「何だ!この数字は?」と、喉元まで出掛かりましたが、ついぞこらえました。

なにやら、聞くところによると斎場がそこに決まった背景には、地場の義理やら故人の生前のツテやら仕事上の付き合いなどがあるらしく、あまり声を荒げるわけにも行くまいと思ったのです。

結局翌日、つまり葬儀のあと、故人の親族(弟)からそれとなく斎場の支配人に(私の)苦情を伝えてもらいました。

支配人は、一応謝罪して代わりの番号の入った整理券と交換してはくれましたが、平身低頭ではなかったようです。

つまり、下足ロッカーなどでは、4・9・42・49 などは忌み数として欠番にしてあるものの、引換券のようないわば流動的なものは特に忌み数の配慮もしていないし、今まで誰からも指摘されたことはないのだそうです。

しかし、今まで誰からも指摘されたことがないから…、などと言うのは実に情けないことです。

極論すれば、誰かから指摘されるまでは「野放し」を容認、もしくは「見て見ぬふり」だったと言われても仕方ありません。

際物店たるもの、忌み数についてはサービス業以上に神経を尖らせなければならないはずだと思います。

ちなみに、葬儀は粛々と進み、会席料理もそこそこまとも(美味)であっただけに、なおさら 忌み数 の一件が惜しまれました。

昨今、クルマで遠方から参列しにくる人も多く、斎場で思いがけず 42 などという数字(の札)を渡されたりしたら、(ドライバーとしては)いやなものです。

よくニュースなどで見聞きすると思いますが、葬儀の帰り道に不慮の事故に遭って(家族ごと)連れて行かれてしまう なんてことも稀ではないのですから。

さて、葬儀も無事に終わり、ひとまず親戚の家で一休みしました。平日月曜日の夕方に帰るとなると、時間的に都内のラッシュに巻き込まれることになるので、一休みどころではなく、夕食まで呼ばれてから帰路につくことにしました。

私は、葬儀の帰り道だし、忌み数 の一件もあることだし、「絶対に事故に巻き込まれるまい、絶対に事故など起こすものか!」という気概で帰ることにしました。

今こうして記事を書いているということはつまり、その帰り道に不測事態には遭わなかったということなのですが、少しだけ 厭なこと がありました。以下はその日の帰り道の出来事です。

私は、千葉から関越へ抜けるときは外環を利用しますが、途中首都高は三郷線よりも川口線を使うようにしています。それは帰り道でも同じです。

その日の帰り道も、いつものとおり関越道から外環経由で首都高川口線を利用することにしました。その先は湾岸線から京葉道へと走り抜けるのです。

まず、外環の 川口JCT から首都高川口線に分岐します。

ここは、分岐してすぐ東北道方面(左)と首都高方面(右)とに分かれるので要注意です。うっかりすると東北道方面に行ってしまいます。

初めて通行する人はおそらく面食らうでしょうが、夜遅くは比較的通行量が少ないのが救いです。そこを無事右方向へ進むと、かなりきついカーブが続き、ようやく川口線です。

この川口線は、夜間、特に疲れてるときに走ってみると気付きますが、道路の両サイドが防音壁に囲まれている区間が多く、何となく閉塞的です。つまり、道幅が狭く感じられるわけです。

また、これは私だけかもしれませんが、(夜の)川口線は、本線と出口の看板の色がよく似ていて、うっかりすると本線から出てしまいそうになります。

しばらく走ると 小菅JCT にさしかかりますが、ここでまず三郷方面(左)と首都高環状線方面(右)いずれかへの選択を迫られます。クルマの流れが速いと、結構ひやひやさせられる場所です。

それを過ぎると、今度は左から三郷線が合流してくるので、またひやひやします。

そして…、ほっとする間もなくすぐ 堀切JCT にさしかかります。ここは左寄りの車線を走っていれば問題ありませんが、うっかり右寄りを走っているといきなり左右の分岐となるので慌てます。

つまり、川口線の上り方向から葛西方面へ抜けるためには、「小菅では右」、「堀切では左」という、ほぼ連続した分岐をクリアしなければならないのです。

私は、いつもなら、関越から外環に入るとすぐ 新倉PA で小休止するのですが、その日は入りそびれてしまい、さらに 川口PA もやり過ごし、幕張PA まで走ってしまおうと考えていました。

にもかかわらず、私は前日からの疲れもあって、その日の帰り道は、存外疲れていたようです。

小菅を過ぎてからなぜか周りのクルマの流れが急に速くなりました。そんなとき、白いクラウンが私のクルマを追い越していきました。

私はなぜかその白いクルマに引き寄せられるように、1つ右の車線に移ってしまい、後をついて行きました。

しかし、ふっと気がつくと 堀切JCT が目前に迫ってきていました。白いクルマはさらに速度を上げ向島線の方(右方向)へ進んで行きましたが、私が向かうべきは環状線(左方向)でした。

そのままの車線を行ってしまうと向島線に分岐してしまいます。

「あっ、やばい!」

分岐点はもう目前でした。

私は左のミラーを瞬時に確認し、左車線に移りました。左車線に移るのとほぼ同時くらいに、分岐点が過ぎて行きました。この間、おそらく数秒でしょう。

もし、そのとき左側の車線を速いクルマが走っていたら車線変更はできなかったでしょう。

さらに1つ左側の本線には大型トラックが走っていました。トラックは私のクルマの動きを見ていたでしょうから、さぞや呆れていたことと思います。呆れて…、というか「危ないな」と思ったはずです。

「こんなふうにして事故が起きるんだろうな…」

私自身、反省しながらも、そう思いました。

果たして、何とか無事に堀切JCTを通過できたのですが、結構冷や汗をかきました。

これは私個人の感慨ですが、都心環状線を始め、どうも首都高というのは車線の分岐の切り方に無理があるというか、手落ちが多いような気がしてなりません。

低速で走れば造作もない分岐でも、速度が上がれば上がるほど危険度がアップするのです。周囲に、「首都高だけは走りたくない」という御仁が多いのも、その気持ち痛いくらいわかります。

さて、それから 葛西JCT を過ぎ、湾岸習志野の料金所をくぐるとすぐ左前方に 幕張PA があります。

私はPAに入るつもりなので、左寄りのゲートに向かいました。一番左端のゲートはETCゲートだったようで、私は左から2番目のゲートを通過しました。

料金所のゲートを出たあたりではよく事故が起きるものですから、私はかなり控えめに加速して 幕張PA 方向に進みました。

右から寄って来るクルマはありませんでしたが、ふっと左を見るとオレンジ色っぽいクルマが私の左側を追い抜いていきました。

「危ないヤツだな」

そう思いながらさらに進みましたが、今度は真っ黒なタクシーが結構な加速で、やはり私の左側を抜いて行き、しかも同じく 幕張PA に入って行ったのです。

「あれがプロの運転かえ??…」

今度は私が呆れました。

もし、私が普通にスピードを上げて行ったら、明らかに接触事故です。その挙句「左優先」を取られれば、私が悪者にされてしまう恐れもあるのです。

これまた、車線の仕切り方にミスがあるように思えてなりません。

市川インター(上り)もよく似たロケーションですが、最近では左端のレーンにはPAとペイントしてあります。おそらく、似たようなケースで接触事故が多発したのだろうと思います。

そのあと、幕張PA を出てからは特に危ない目にも遭わず、無事に帰宅することができました。

と、まあ、この程度のことは首都高を頻繁に利用する人にとっては日常茶飯事かもしれませんが、年に数えるくらいしか(首都高を)通行することのない私にとっては、かなりのひやひやものでした。

気の所為(せい)とは思いますが…、やはり、どうしても「忌み数の札なんかを渡されたせいだ…」などと考えてしまいます。


(2011年1月10日加筆訂正)
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