2011/09/10 Category : 雑記帖 絶景!乗鞍スカイライン 乗鞍という場所を知っていますか?乗鞍とは長野と岐阜にまたがる山岳地帯のことですが、乗鞍と聞いてふつうに思い浮かぶのは、やはり観光地としての乗鞍スカイラインでしょう。今回は、余りある乗鞍の魅力について、独断と偏見も含めてご紹介したいと思います。さて、乗鞍スカイラインは、昔はマイカーで走ることができました。ここで言う昔とは、今から約28年前のことです。その当時、私はまだ学生でした。車の免許を持たないバイク専門のソロライダー、つまり私が初めて乗鞍を訪れたときも 400cc のバイクでした。千葉の片田舎に住む私でさえ、その当時ブームだった大垂水峠や碓氷峠など何度か走りに行ったものですが、いずれも一般道のため舗装状態も悪く、逆バンクも多々あり事故の非常に多い危険な峠道でした。それに対して、乗鞍スカイラインは有料道路なだけあって交通量も少なく、スバルラインなどと同様、舗装状態のとてもよいきれいな道路で、高速コーナーを充分堪能することができました。また、乗鞍スカイラインはきれいな山岳道路という印象だけでなく、日本一標高の高い道路を走れるというのが何よりも魅力でした。富士スバルラインの新五合目よりさらに上、おおよそ2700mあたりまでバイクで走れるというのはとても鮮烈なことでした。実際登って行くにつれ、眼下に雲海が広がって見えてくるというのは、なんとも筆舌に尽くしがたい感慨を覚えたものです。さらに畳平付近では、晴れ渡りさえすれば、雲海だけではなく360゜拡がる風景に思わず絶句してしまいます。すばらしい山々の風景、まさに、絶景です!もっとも、純粋に絶景に感激したいなら登山をすれば叶うことでしょうが、登山をするためには周到な準備と計画、さらには相応の体力が必要です。しかし乗鞍スカイラインから臨む絶景は、登山で望む絶景とはかなり意味合いが異なります。つまり乗鞍スカイラインは、気軽に立ち寄っても絶景の望める場所、周到な準備や健脚がなくても身軽ななりで絶景を臨める場所、ということなのです。ひねた言い方・自虐的な言い方をすれば、単にミーハーな場所に過ぎませんが、その絶景に臨む感動は、例えて言うならば、初めて東京タワーや新宿高層ビルの展望台から下界を覗き込んだときの、あの何ともいえない感動に似ています。ちなみに、私は乗鞍スカイラインから望む絶景の虜となり、おおよそ毎年1回、多い年は3回は走りにでかけるようになり、今に至っています。そんな乗鞍スカイラインですが、残念ながら6年前にマイカー全面規制となり現在に至っています。丸30年に渡り有料道路であったものが、無料開放と同時に全面規制、にもかかわらずバスかタクシーでどうぞ、というのはどうも理不尽なような気がします。確かに20年くらい昔でも、土日などは終点近くはずっと渋滞していました。午前中は登り方向、夕方になると下り方向が…。そのため、私は、長野県側のエコーラインをうまく利用して、他の人とは時間的に逆コースを走るように工夫したものです。つまり、土日など混雑する日は、夜間でも走れるエコーラインで夜から早朝にかけて畳平まで登ってしまい、下りは乗鞍スカイラインで…といった走り方もしました。今では懐かしい限りです。それがとうとう、全面規制とは…、環境保全のためとはいえ残念でなりません。私は故あって、ここ4~5年乗鞍には行ってませんが、もしやと思い調べてみたら、乗鞍スカイラインだけではなく、なんとエコーラインも全面禁止とのこと…。冷静に考えてみると、富士山でさえ全面規制ではなく期間規制です。詳しくは知りませんが、富士山に訪れる観光客はおそらく年間100万人を超えるのではないでしょうか?乗り入れてくる車の数も乗鞍とは比べ物にならない数だと思いますがね?そういえば、上高地も昔はマイカーは期間規制だったはずですが、今や全面規制だそうです。今から20年くらい前、ちょうどマイカー規制の時期に上高地に行ったことがあります。そのときは10人くらい仲間を引き連れて行ったので、タクシーに分乗して行けば頭割りで安くなるだろうと考えましたが、果たして、1人でバスに乗る料金とタクシーで4人相乗りで割り勘で乗る料金がまったく同じでした。これは明らかに価格協定のようなものがあるな…と感じたものです。また、その頃、バスはともかく、タクシーや有料駐車場はこぞって客のとりあいをしていました。沢渡あたりの駐車場では、GSよろしく出入口で旗を振っていたり、我々観光客を手招きしてるのをよく見かけたものです。今はどうだかは、知り得ませんが…。そのへんから推測すると、どうも マイカー全面規制の目的は、環境…云々だけではないような気がしてなりません。そう思ってしまうのは私だけでしょうか?まあ、真相はどうあれ、我々は流しの観光客に過ぎません。地場の複雑な事情に首を突っ込む必要はないのかもしれませんが。つまり、今となっては、そういったマイカー全面規制による不便さは否めないところですが、それでもなお上高地、乗鞍は是非一度は訪れてみたい観光地だと思います。ただ、端的に言えば、上高地は基本的に「歩いて自然に溶け込むところ」であり、乗鞍は歩いても歩かなくても「景色を楽しむところ」だと思います。また、念のため言っておきますが、乗鞍畳平あたりは、乗鞍高原と違って遊び場所はほとんどありません。空気も薄いです。特にこれといった遊歩道もなく、せいぜい鶴が池の周りを散策するか手ごろな大黒岳の頂上まで散策する程度です。なお、もし畳平から剣が峰を目指すなら、相応の装備をして行った方がよいでしょう。2700mあたりまで一気に車で登ってしまい、そこから徒歩で登り始めるためか高山病?に陥りやすいのです。慣れない人は簡易酸素缶など持参したほうがよいでしょう。つまり、畳平まではいわゆるミーハーな観光地ですが、そこからさらに標高3026mを目指すとなると、突如シビア?な登山道に豹変するわけです。意外と健脚も求められます。すなわち、最初はなだらかな道ですが、徐々に急斜面を登っていかなければなりません。上りで約2時間、下りで約1時間が目安と思います。ただ、下り1時間でも、玄人に言わせると、早すぎる、そうです。実際、私も一気に下ってから気分が悪くなり、タバコも吸えなくなり、念のため持っていた酸素缶に助けられました。酸素缶なんて、気休めかと思っていましたが、実際に酸欠になったときはよく利くものです。以下は、私が初めて乗鞍と出逢ったときのことを、思い出し思い出し書き記した紀行文です。所詮、昔話ですのでご参考にとどめてください。ただ、しつこいようですが、現在は乗鞍・上高地ともバスかタクシーでないと行けません。昭和56年、夏のことです。H大に通うT君が「先週、乗鞍に行ってきたよ」と自慢げに何枚かの写真を見せてくれました。私は、そのときまで乗鞍という場所はおろか、地名すら知らずにいました。「へ~、乗鞍?? 誰と行ったの?」写真には見たこともない連中が一緒に写っていました。「うん。大学の政治研究会のゼミの仲間に連れて行ってもらったんだよ」写真には 乗鞍スカイラインの急コーナーを、必死にハンドルにしがみつくような恰好で走っているT君の姿が写っていました。T君はもともとバイクになどまったく興味がなかったのですが、なぜか大学に入ってから急に自動二輪免許を取り、250CCのホークⅡに乗り始めたばかりでした。若いうちにいろんなものを経験しておきたいから…、とT君はいつも言っていました。実際、それから何年後かT君はバイクに見切りをつけ、ロードレーサーに傾倒して行ったのですが。まあ、それはともかく、写真の端々に写っている風景に、私は圧倒されました。角度によっては穂高などの北アルプスが、また角度によっては駒ケ岳などの南アルプスの山々が見えました。T君は続けて、「いや~、ラッキーだったよ。景色がよく見えるのは年に何回かしかないんだって…」さらに、「乗鞍スカイラインは自分の車やバイクで標高3000mあたりまで行けるんだよ。250CCだし、全然エンジンが回らなかったよ」と聞き、私はますます行ってみたいと思いました。ロードマップで見る乗鞍スカイラインは、まるで山岳のうえを青い大蛇が這っているかのように見えました。当時はまだ有料道路だったので、青く太い線で描かれていたのです。私は8月いっぱいは特に遠出もせず、家の近くの海辺で甲羅干しをして過ごしました。その頃私は、今はなき東京晴海郵便局で夜勤のバイトをしていました。そのバイトは、東京の大学に通うついでにしていたので、夏休み期間中、わざわざバイトだけのために2時間も電車に揺られて行く気にはなれませんでした。大学はほぼ9月いっぱい夏休みでしたが、9月に入っても特に予定もなく、バイトにも行かず家でぶらぶらして過ごしていました。…。そんな中、ある日大学のバイク仲間のI君からTELがかかってきました。「ツーリングがてら福山まで遊びに来ないか?」I君は福山市出身で、ちょうどその頃実家に帰省していたのです。実家で出迎えてやるから遊びに来いよ、というわけです。財布の中は寂しいものの時間はたっぷりありました。私は、二つ返事でOKしました。しかしOKしてから、さてどういうルートで行ったものか?と思案し始めました。時間がなくてカネがあるなら東名高速を突っ走って行くのが無難でしょう。でも、夏休み期間中バイトも休みがちだったせいか、時間はあってもカネがない、という時期でした。それに、若い身空で、しかも機動性のあるバイクで高速道路をただひた走りというのはどうも納得がいきませんでした。かといって、国道1号線で大型トラックといっしょに排気ガスまみれで何百キロも走らされるのも耐えられそうにありません。それより私は、この機会になんとか 乗鞍スカイラインに寄ってみたいと考えたのです。ただ、問題は、乗鞍スカイラインに立ち寄ったあとのルートをどうするか、でした。平湯から高山まで行って、国道41号で名古屋、そこから名神道…、というのはなんとなく味気ない気がしました。それより、高山から国道158~156を行くと有名な白川郷に寄れそうです。白川郷も一度は寄ってみたい場所でした。さらに、白川~荘川あたりから山越えで福井まで抜けられそうです。いずれにしても行ったことがない場所なので所要時間が読めませんが、ひた走りで福井まで行き、北陸道に入ってどこかのSAで仮眠でもして、そのまま名神~中国道を使って新見から福山へ向かおう、なんて安易に考えました。つまり、途中までは一般道で行き、福井からは高速をひた走りというプランにしたわけです。結局、千葉から国道16号で川越まで行き、そこから国道254号で佐久を越え、美ヶ原を突き抜けて松本まで行き、さらに国道158号で乗鞍を目指すといった、今あらためて考えてみるとずいぶん無謀なルートでした。そして…出発前夜のこと。夜明けころには出発しようと夜9時くらいには就寝したものの、まったく寝つけませんでした。まんじりともせず…とはよく言ったものです。果たして、私は一睡もせぬまま午前3時過ぎには出発してしまうことにしたのでした。ガラガラの国道16号を巡航して、朝6時過ぎには川越に着いてしまいましたが、まったく寝ていないものですから、疲労の蓄積は存外早く眠いこと眠いこと…。藤岡あたりで、バイクで川原まで降りておにぎりを食べ、国道254をさらに西へ。下仁田~佐久へと向かいます。ちなみに、福山で待つⅠ君の親戚が下仁田にいて、Ⅰ君は大学浪人時代を下仁田の家で過ごしたそうです。なんとなく奇縁を感じながら下仁田で小休止しました。国道254ですれ違うのは地場の車ばかりでしたが、1台だけ、ツーリングとおぼしきハーレーとすれ違い、ピースサインを交わしました。さて、佐久を過ぎると国道254号と142号の区別がつかなくなります。どこをどう走ったか憶えていませんがなんとか国道254に戻りました。というのも、そのときの道路標識がとても不案内だったのです。つまり、地場の地名しか記されていない小さな標識が多く、直進しても「蓼科」、左折しても「蓼科」なんて標識がたびたび視界に入ってきました。これには惑わされました。さて、国道254で美ヶ原を突き抜けるには、有料の三才山トンネルを通らねばなりませんでした。でも、私はかような場所に有料道路体制を敷いていることにひどく不条理さを感じました。三才山トンネルの料金などビーナスラインに比べれば安いものでしたが、金額云々より、なんとなく「通ってたまるか」というささやかな抵抗感があったのです。この感覚は、昭和の末から平成の始めのころですが、国道4号線バイバスの新利根川橋でも、同じく「渡るものか」と思ったときによく似ています。ちなみに新利根川橋は今では無料開放されていますが…、当時は有料でした。ロードマップを細かく見ると、三才山トンネルの入口のすぐ脇に脇道というか林道がありました。たぶんトンネルができるまではメイン道路だったのでしょう。私は迷わずその林道に迂回しました。ちょうどそのころから雨となり、小雨の中合羽を着たのを憶えています。林道という名のとおり、舗装状態も悪く一部悪路もありました。ここは関東ローム層か?と思えるほどの黄土色の粘土質の土が滲みだした道がところどころあり、小雨の中、タイヤが滑るのを警戒しながら先を急ぎました。そうこうするうち、さらに武石峠から美ヶ原林道を通過し、美鈴湖を見過ごしてやっとの思いで松本市に到着です。私は千葉の小さな農村に住んでいましたが、松本市ってのはずいぶんでかい地方都市だなあと感じたものです。松本を抜けると、あとは国道158をひたすら走り、平湯峠を目指しました。島々を過ぎると徐々に山岳地帯に入って行きます。眼下には梓川が流れ、いくつかダム湖のようなものが見えました。どうも、川を挟んでV字峡谷の左側斜面に道路を作ったという印象です。急ぎ旅でなければダム湖の方に降りていって、何があるのか確かめてみたいところですが…。それから先はトンネルというか隧道がやたら出てきます。長めのトンネルは、どれも水びたしという感じでした。暗めのトンネル内に分岐と信号があるのにはちょっと驚かされます。標識を見て即座にどちらか判断しなければなりません。そうして、いくつもいくつもトンネルを過ぎると、ぱっと明るく視界が開けました。梓湖の奈川渡(なかんど)ダムでした。国道158はその奈川渡ダムに沿って梓湖をまたぐように走っています。ダムを通過して次のトンネルに入る手前の左手に、ちょっとした休憩スペースがあったので私は一休みすることにしました。そこは見晴らしもよく、小休止するには恰好の場所でした。売店というか簡易なドライブインのような店舗もあり、トイレもあって助かりました。当時はまだ、コンビニ乱立など程遠い時代でしたし、アウトドアのトイレ対策にはいつも苦慮したものです。さて、奈川渡を過ぎると、難所安房峠です。その頃はまだ安房トンネルなど影も形もなく、平湯を目指すには超難所の安房峠を越えるしかありせんでした。そのころの安房峠は、道悪、狭い、勾配がきつい、などいろんな要素がからみあっていました。ヘアピンカーブを登っていくときは、路面や前方ではなくアタマの上のほうを常に意識していなければなりませんでした。どんな車が下ってくるかわからないからです。なお、乗用車はもとより観光バスやトレーラ、ダンプなどもひっきりなしに往来していました。特に大型同士がカチあったときは、狭い道で交わすために何度も何度も切り返したりして、また側溝も大型車のタイヤを呑み込むくらいの幅でしたので、側溝にタイヤを落とすまいと必死にハンドルを切っているのをよく目撃したものです。さて、そんな安房峠を越え、平湯のバスターミナルに着いたのはもう夕方近かったように記憶しています。着いてみて判ったのですが、乗鞍スカイライン は夕方5時だか6時でゲートが閉まってしまうのだそうです。つまり、平湯側からスカイラインに入って往還するためには、平湯側のゲートが閉まるまでに登って、しかも降りてこなければならないわけです。小雨の中、私は少し逡巡しました。「せっかくここまで来たのに、時間制限ありか…。しかも雨…。でも、雲の上は晴れてるかも…」私は、ここでだじろいではダメだと思いました。片道15キロ程度だし、急いで登ることにしました。もうその時間は登っていく車はほとんどいませんでした。降りてくる車もほとんどいません。しかし天気は、平湯から徐々に標高があがるにつれて小雨から霧に変わっていきました。景色…どころではありません。下ってくる対向車と後続の車の気配に注意をはらうのが精一杯です。もっとも、遅い車を追い越しながら登って行ったので後続なんて来やしませんでしたが…。果たして、畳平に着いたときにはほとんど霧で何も景色が見えない状況でした。気温もだいぶ下がっています。というか、いきなり標高2700mまで来てるんだからあたりまえだったのですが…。千葉ではまだ残暑だったのに、ここは既に冬並みの気候でした。私は、バイク乗りでありながらずいぶん軽装で来てしまったことを後悔しました。せっかくだからと、畳平駐車場の奥にある売店へ寄りました。そのとき買った乗鞍のキーホルダーは今なお残っています。さて、ゲートの閉まる時刻も迫ってくるし、霧はとても晴れそうもありませんでした。ゲートは畳平にもあり、管理してる人に尋ねると、下りで通過した車輌がすべて降りるまで平湯側のゲートは閉めないとのこと。というか、電話で「今から何台か行くから閉めないように」というように連絡してるみたいでした。とにかく、私は今登ってきたばかりの道を下ることにしました。何とも複雑な気持ちでした。いろんな思いが脳裏を去来しました。疲れと寝不足で思考力もかなり麻痺し始めています。私は、またの機会に必ず来よう…そう思いました。結局大急ぎで平湯まで降りてきましたが、気がつくと途中から霧が小雨に戻っていました。高山まではまだおおよそ50キロはあります。とにかく、先を急ぐことに…。高山市内に入り、とりあえずGSでガソリンを入れることにしました。まだ先は長いし、山道でガス欠になったらアウトです。その頃は深夜に営業してるGSなんて、高速道のSAくらいしかなかったのです。しかし私は、GSのトイレで鏡に映った顔を見てびっくりしました。顔は排気ガスだらけ、両目は真っ赤に充血していました。そりゃそうでしょう。前夜一睡もせず、400キロ以上バイクで走ってきたわけですから。それも、単調な高速道を400キロ来たのではなく、一般道から林道、峠道、高原道路に到るまで走ってきたのです。私は内心、こりゃ、ちとヤバイな…と思いました。気は張っていても身体は正直なようでした…。予定では、国道156号で福井まで行き、北陸道のSAで仮眠して…のはずでした。しかし福井まではまだおよそ100キロ!こんな疲れの状況で、さらに夜の山道を100キロ走るのはかなりきついと感じました。時刻は7時近くでした。「もしかしたら、まだ観光案内所が開いているかもしれない…」私はGSで観光案内所の場所を聞き、さっそく行ってみることにしました。閉まってないことを祈りつつ、私は高山の商店街を低速で走り廻りました。近くに宿があるのか、浴衣姿の酔っ払いたちが大声で話しながら歩いているのをみかけました。「いい気なもんだ。こちらはまだ晩飯も食ってないのに…」果たして、観光案内所は閉まる間際でしたが、私の疲れきった「なり」を見て不憫に思ったのでしょうか、あちこちに電話して照会してくれました。私は貧乏学生でしたので当然、民宿を希望しました。そのときの夕食なしの一泊料金は、たしか4500円だったように記憶しています。果たして紹介されたのは旅館風の民宿でした。着いてみると、なかなか古風な造りの宿で、既に夕食の時間は過ぎていました。そのためか、なんとなく人気(ひとけ)がありませんでした。でも、部屋に通されて宿帳を書いていたら、なぜか…民宿の女将さんから「風呂が壊れてるから…近くの銭湯まで行ってくれ」と、小銭を渡されました。観光名所の高山まできて銭湯かえ?とは思いましたが、実際夜7時ころの「飛込み客」だし、しかも単独でしたので布団で寝れるだけありがたい、と思いました。私はまだ夕食を摂っていなかったので、銭湯まで歩く道すがらパンを買い、その日は早々に休むことにしたのです。さて、翌朝、朝食ですよと起こされ、食事会場?に行ってみると、私の1人用の膳が用意されていました。風呂も壊れてる?ことだし、他に泊り客はいないのだろうと勝手に思い込んでいましたが、見回すとたくさんの女子大生たちが、そろって朝食を摂っていました。聞こえてくる会話は関西弁だか京都弁でした。私は、ひどく場違いな場所に来てしまったな…と思いました。同時に、昨夜なぜ銭湯に行ってきてくれ…と言われたのか、わかったような気がしました。おそらく、前夜は関西方面から来た女子大生たちで占領されていたのでしょう。そこへ、観光案内所から「男1人」飛込み客を頼みこまれ、仕方なく受けいれてくれたのかもしれません。私は早々に宿を後にし、高山見物もせずに福井を目指したのでした…。さて、その先、福山に着くまでの紀行文はまだまだ続くのですが、それはまたの機会に…。だいぶ端折ってはいますが、これが私が初めて 乗鞍スカイラインに立ち寄ったときの様子です。ゲートが閉まる間際で、畳平の様子もほとんどわからなかったこと、濃霧で視界がほとんどなかったこと、着いたとき既に疲れのピークに達していたこと、などなど、「これは、絶対に日を改めて来なければ」と、強く印象に残ったわけです。そして、その後私は20年以上に渡り、毎年1~2回は乗鞍を訪れるようになったのです。以下、前説の繰り返しになりますが、乗鞍スカイラインは2003年に有料が解除され、同時に一般車輌の乗り入れが禁止になってしまいました。つまり、今では一般車両は通行禁止で、バスかタクシーでしか畳平まで登ることはできません。永い年月をかけて「上高地と同じ仕組み」となったわけです。理由はともかく、過去20年以上に渡り魅せられ続けた場所だけに、残念でなりません。とはいえ、日本各地たくさんの観光名所はありますが、「上高地」はもとより「乗鞍スカイライン」は是非一度は行かれることをお勧めします。都合よく休日・祭日に晴れ渡るとは限りませんが、もし日中晴れ渡ったときに畳平に降り立てば、360゜広がる壮大な景色のすばらしさに絶句することでしょう。次の機会、乗鞍近辺のお勧めについて、さらに詳しくお伝えしたいと思います。(2009年10月20日) PR